• カテゴリー 『 企画・催し物のご案内 』 の記事

宝満二十五坊めぐり

山伏の行き交う息吹が感じられる信仰の山

宝満山二十五坊を史跡探訪します

日時 3月18日(日):00~15:00  健脚向き

参加費  500円(竈門神社駐車場集合・昼食・飲み物各自持参)

参加人数 若干名

※2月12日当初予定していましたが、雪で延期になり3月18日になりました。

若干余裕がありますのでどうぞご参加お待ちしています。

講師 岡寺 良  (九州歴史資料館学芸員)

修験の山、宝満山(国指定史跡)にあった二十五の坊跡(山伏の住んでいた場所)を見学

長時間、宝満山中を歩きます

 お申込方法:当サイトのお申込フォームから申し込まれるか、

住所・氏名・年齢・電話番号をご記入の上FAX921-0305(カフェ観音)までお申込ください

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2月12日「宝満二十五坊」探訪を

心待ちにしてくださっている皆様へ

宝満二十五坊延期

318()9時竈門神社駐車場集合

リベンジします🌸

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半端ない今年の寒波、

予定日の212日も天気予報は雪マーク。

残念ですが安全を優先して、延期とします。

 

春の息吹を感じながら「宝満二十五坊探訪」

どうぞ、お友達お誘いあわせの上

3月18日の参加お待ちしています。

 

 

 

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(画像をクリックすると別ウィンドウでPDFファイルが開かれます) 

 

 宝満二十五坊めぐり

山伏の行き交う息吹が感じられる信仰の山

宝満山二十五坊を史跡探訪します

日時 2月12日(月・祝)9:00~15:00  健脚向き

参加費  500円(竈門神社駐車場集合・昼食・飲み物各自持参)

参加人数 15名

 

講師 岡寺 良  (九州歴史資料館学芸員)

修験の山、宝満山(国指定史跡)にあった二十五の坊跡(山伏の住んでいた場所)を見学

長時間、宝満山中を歩きます

 お申込方法:当サイトのお申込フォームから申し込まれるか、上記チラシを印刷し、住所・氏名・年齢・電話番号をご記入の上FAX番号921-0305までお申込ください。 

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 有智山城 探訪 宝満山中腹

 

宝満山中腹・九重原にある有智山城は、筑前国続風土記など

には大宰少弐氏の館として記されています。

現地調査を元にした城館研究の視点から探訪します。

🌠12月23日(土) 13:30~16:00

集合場所  竈門神社駐車場  歩きやすい服装 (山道を歩きます) 

参加費  500円  参加人数  20名   締切12月15日(多数の場合抽選)

お申込方法:当サイトのお申込フォームから申し込まれるか、上記チラシを印刷し、住所・氏名・年齢・電話番号をご記入の上FAX番号921-0305までお申込ください。

🌠講座後、自由参加:宝満山キャンプ場 西鉄山友会の記録ドキュメンタリー上映会(無料)と竈門神社テラスから背振山頂に沈む夕陽を眺めます。17:30終了

🌠講師 岡寺 良  (九州歴史資料館学芸員)

県教育委員会が、県内にある中近世の城館遺跡の分布状況など約900遺跡を5年がかりで調査。 鎌倉時代から江戸時代に築かれた城に関する遺跡を把握し、保護と周知につなげようと、県立九州歴史資料館(九歴、小郡市)が中心となり、筑前、豊前、筑後の3地域に分けて文献調査と現地調査を行ってきた。確認した中世城館は計845遺跡、近世城館は計36遺跡。伝承地や関連遺跡を含めた総数は1千以上。

九歴の岡寺良学芸員(考古学)は「城館を調べることで軍事だけでなく、当時の政治と社会も見えてくる」。        2017.6.8  西日本新聞朝刊より

九州歴史資料館では「福岡県の城−戦国乱世の城から幕藩体制の城へ−」企画展を開催中  123日まで

 

 

🌠「有智山−うちやまじょうを探る」

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🌠723()15時~1630
🌠場所 カフェ観音 太宰府市観世音寺1-8-1
🌠参加費  1,000円(コーヒー・菓子付) 
宝満山中腹・九重原にある有智山城は、筑前国続風土記などには大宰少弐氏の館として記されていますが、実際のところはどうなのか・・・

現地調査を元にした城館研究の視点から探ります。 
🌱観世音寺前のカフェ観音で気軽に宝満山探訪をします。

🌠講師 岡寺良(九州歴史資料館学芸員)

お申し込みはお申し込みフォームに必要事項をご記入の上、お申し込みください。

講師紹介

2017/06/08付 西日本新聞朝刊より

中近世城館の分布調査終了 県教委、最終報告書刊行

県教育委員会が、県内にある中近世の城館遺跡の分布状況などを5年がかりで調べ、このほど4冊目の報告書で、最終巻となる「福岡県の中近世城館跡4-筑後地域・総括編」を刊行した。調査は全体で約900遺跡に及び、全体像も盛り込んだ今回の報告書は、縄張り図(平面図)や古絵図、写真も交えて各地の城を紹介する力作だ。

 鎌倉時代から江戸時代に築かれた城に関する遺跡を把握し、保護と周知につなげようと、県立九州歴史資料館(九歴、小郡市)が中心となり、筑前、豊前、筑後の3地域に分けて文献調査と現地調査を行ってきた。確認した中世城館は計845遺跡、近世城館は計36遺跡。伝承地や関連遺跡を含めた総数は1千以上という。

 総括編では、中世城館の特徴を分析した。浮かび上がった傾向の一つが、山城の斜面の上下方向に複数本の竪堀を作り、敵が斜面を横移動するのを防ぐ「畝状空堀群」の多用だ。遺構は越後や飛騨など全国にあるが、福岡では古処山城(朝倉市)や益富城(嘉麻市)など秋月氏の本拠や支配地域、その同盟勢力と対抗勢力の山城に多い。

 織田信長が築いた安土城(滋賀県)に代表される織豊期の城より前に築城された高祖城(糸島市)や一ノ岳城(那珂川町)といった福岡湾周辺の拠点城郭では、石垣が造られていた。織豊期以降の石垣と異なるのは、遠方の石切り場から運んでくるのではなく、その場にある自然石を使っている点という。

 各地の城館遺跡では武器や武具、日用品である土器や陶磁器などが出土している。九歴の岡寺良学芸員(考古学)は「城館を調べることで軍事だけでなく、当時の政治と社会も見えてくる」と話す。

 

「福岡県の中近世城館跡4」は九歴で販売中A4判334ページ、2500円

 

 

小郡市三沢の九州歴史資料館

特集展示「骨を蔵(おさ)める-古代・中世の火葬骨壺(つぼ)-」が開かれている。7月23日まで。

2017/06/30付 西日本新聞朝刊より

展示しているのは、県内で出土した奈良時代から江戸時代にかけての火葬骨壺など約50点。岡寺良学芸員(考古学)によると、国内では飛鳥時代の700年に初めて火葬が行われて以降、貴族や僧侶などを中心に広がり、室町時代以降、庶民も行うようになった。

 約30年前には、太宰府市の寺の跡で室町時代のものとみられる骨壺が出土。うち5点は14世紀に中国で作られた希少な陶磁器を用いており、今年3月に県の有形文化財に指定されたという。岡寺学芸員は「形や大きさなどさまざまで、当時の人々が骨壺を自由に選んでいたことが分かる。火葬の風習の流れを見てほしい」

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史跡めぐり宝満山の七窟を行く 

要申込

日時:3月25日(土)  8時~17時   定員:15

参加費:500円      集合場所:竈門神社駐車場

持参:昼食・飲み物・懐中電灯・雨具

内容:一人では巡る機会の少ない修験の山・宝満山中の七窟を訪ねて歩きます。修験僧の息吹を感じながら、足跡を辿ることで奥の深い信仰の山が体感できます。長い時間、宝満山中を歩きます。宝満山2往復できるくらいの体力が必要です。

雨天時の判断:前日1855 NHK天気予報50%以上で中止とします。

当日の天候や、様々な状況により七窟すべてを行くことが困難な場合があります。ご了解ください。

 

お申し込みはお申し込みフォームに必要事項をご記入の上、お申し込みください。

 

《宝満山 五井七窟とは

山中には五井七窟と言われる修行で使われたとされる秘所、

五つの井戸、七つの岩屋の窟が点在しています。

五井は水害で崩壊したり、場所が不明だったりする場所もありますが

七窟は現在でも全ての窟が現存していて、実際に足を踏み入れる事ができます。

1、福城窟

正面登山道(男道)8合目の先で「益影の井」の分岐を右に谷沿いに下った場所にあります。

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2、宝塔窟(伝教大師窟)

正面登山道中宮跡の先の分岐を羅漢道に向かい、羅漢道のルートを進むと看板があり。窟は右方面に少し登った所にあります

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3、釜蓋窟

宝満山から三郡山への縦走路へと向かい、仏頂山の手前をうさぎ道の方に進みます。

200300メートル程進んだ地点で登山道を逸れ、赤テープを頼りに左側の尾根を少し下った地点にあります。

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4、普池の窟

猫谷川新道の8合目あたりにあります。

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5、剣の窟

猫谷川新道の上部にあります。つりぶね岩を下に回りこんだ地点です。

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6、法城窟

キャンプセンターから女道を下ってる途中に右手に登山道を逸れます。古い看板の案内があります

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7、大南窟

かもしか旧道から登ってたどり着く方法とかもしか新道から下って至る方法がありますが危険を伴う箇所もありますので、細心の注意が必要です。

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最後に・・

七窟めぐりは一度に全部をまわるとなるとルートを把握できていても

普通に宝満山に登る倍位の体力が必要です。

さらに、登山道を外れる箇所もありますので道迷い、遭難、滑落等の危険が高くなります。

できれば最初は経験者の人と一緒に行っていただければと思います。

 

桜会 ひざくらえ

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要申込

旧暦の210日玉依姫様が示現し上宮が創建されたと伝えられる日を緋桜会としてお祝いします。

竈門神社境内散策と

宝満山歴史散歩 著者森弘子先生のお話

325日(土)  10時~12時  定員:30人  

参加費:1,000(緋桜餅・抹茶付)

 お申し込みはお申し込みフォームに必要事項をご記入の上、お申し込みください。

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申込不要

🌸 325日(土) 11:00~緋桜餅・抹茶  500円

🌸 326日(日) 11:00~桜 観音カフェ 500円

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新年あけましておめでとうございます

昨年は、宝満山弘有の会に

参加ご協力いただきましてありがとうございました

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今年の、宝満山弘有の会の事業予定です。

325日 七窟めぐり(史跡巡り) 

     緋桜会(抹茶のふるまい)

423日 十六詣

930101日  清掃登山

101日  二十五坊めぐり(史跡巡り)

11月予定  紅葉まつり(抹茶のふるまい)

年数回予定 宝満山を知ろう 座学

1222日前後 冬至の夕日を見る(史跡巡り)

  詳細は、改めてお知らせいたします

 

本年も何卒よろしくお願いいたします。

 

 

森弘子先生と行く史跡めぐり-宝満山と伝教大師最澄-

日時    12月20日(火) 14:00~17:00 

集合場所  竈門神社駐車場

参加人数  30

参加費   500円   歩きやすい服装

伝教大師最澄ゆかりの六所宝塔跡や「蓮華のともし火」が伝わる妙香庵を「宝満山歴史散歩」の著者 森弘子先生の案内で巡ります。

解散後は自由に、竈門神社のテラスに立ち、冬至の日に背振山に沈む夕日を眺めます。

 

お申し込みはお申し込みフォームに必要事項をご記入の上、お申し込みください。

冬至の夕陽は背振山に沈みます。

伝教大師最澄は背振山に沈む夕日を眺め、何を祈ったのでしょう。

 

↓夏至の頃、玄海灘に沈む夕日。

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-尾登憲治監督上映会-

大名映画館秋の特別企画

対馬と山のドキュメンタリー映画連続上映

4年前「宝満山」を制作した尾登監督が、

くじゅう連山や竹田を舞台とする

最新の短編映画を一挙公開。

「宝満山」「ザ修験道」も併せて上映。

★山の映画 連続上映

くじゅう連山&竹田(11作品)

宝満山

ザ修験道

日時: 112224日(入場無料)10時開場20時まで

場所: エンジョイスペース大名      

(福岡市中央区大名1–14–20

   期間中 宝満山の棚田米を販売

 

★海 

日本とロシアの感動のドキュメンタリー映画 

国境の島、対馬には知られざる歴史が数々あります。

その一つ、日露戦争で日本の連合艦隊に敗れた帝政ロシアの

バルチック艦隊の敗残兵が上陸した上対馬。そこで何が起こったのか。

日時: 112527日(入場無料)上映時間 1115

場所エンジョイスペース大名

(福岡市中央区大名1–14–20

対馬の観光・物産情報も用意します

※作品解説 (一部)

宝満山

霊峰宝満山。深い歴史と多くの人の想いと、神霊に満ちた山。

長い石段は厳しい修行を課されているようで、苦しい。しかし何故か老若男女を引きつける。

宝満山の魅力を、宝満山をこよなく愛する人々の、それぞれの愛し方を描くことで浮き彫りにしたいと願って通い続けた1年半。70分のドキュメンタリー映画が完成した。私の処女作と言っていい。今の自分から見ると拙いが、初々しい。福岡アジア国際映画祭で2度上映された。

 

ザ修験道

150年ぶりに復活した宝満山から英彦山への峰入りの行に同行した。

修験道とは何か。なぜ今、峰入りを復活するのか。

厳しい峰入りの行に耐える山伏たちの姿。私にはただひたすら美しかった。 4月末の美しい里山のせいもあったであろう。しかし、一言感想を述べるなら、まるで野外オペラを観ているような・・であった。色、音、声、響き。早暁、ホトトギスが歩く山伏たちのすぐ近くで鋭く鳴いた。それは「てっぺん駆けたか?」と聞こえた。お前たちはちゃんと修行をしているのかと。 その時、確信した。あのホトトギスは神の使いなのだと。

 

海よ 風よ 光よ ~西泊 美挙の心を生きる~

国境の島、対馬には知られざる歴史・伝統文化が数々ある。その一つが、日露戦争で日本の連合艦隊に敗れた帝政ロシアのバルチック艦隊の敗残兵が上対馬に上陸した歴史だ。その時、そこで何が起きたのか。

ロシア兵と住民との間で交わされた心の交流。そのインパクトは上対馬の小さな漁村西泊地区に美しい文化を生んだ。彼らはそれを「先人の美挙」と呼ぶ。インパクトは110年の歳月を超えて今に続いている。このドキュメンタリー映画は西泊地区住民の要望に応えて制作された物語だ。

今、日本とロシアの関係が動こうとしている。今年12月、プーチン大統領の来日が予定されている。対馬市はプーチン大統領に西泊への訪問を実現させるべく、召喚状をロシア政府に送った。

もしかしたら、「先人の美挙」は新しい時代への引き金になるかもしれない。

 このドキュメンタリー映画 海よ 風よ 光よは、現在進行形なのである。

  米問合せ 090–7461–1768 (尾登携帯)