宝満山弘有の会
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宝満山「入」が513日行われました

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本日、宝満山修験会による第37回「宝満山峰入」が行われました。

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緑の中に響く法螺貝

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山伏問答や山伏作法

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5月27日には竈門神社境内において「採燈大護摩供」行われます。

 

 

昨日からの大雨も上がり、今回5回目となる十六詣りが行われました。

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この行事は平成25年の竈門神社1350年大祭を祈念して復興され、今年は中学2年生から高校3年生までの男女35名が久留米絣の短着やテクリ姿という昔ながらの装束に身を包み元気に頂上を目指しました。保護者や宝満山修験会・宝満山弘有の会も含めて総勢60名の登拝です。

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先達山伏の法螺貝が新緑の宝満山に木霊す中、途中には六所宝塔跡や中宮跡などで史跡解説も行われました。

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十六歳になった男の子は一生お金に不自由しないように、女の子は良縁に恵まれますように、宝満山頂上の上宮で祈願を受けた後、頂上にある再会の木に願い事を書いたこよりを結います。

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一人一人が真剣に将来の夢や願いをこよりにしたため、再会の木に結んで奉納しました。

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愛敬の岩では、目隠しをして岩までたどり着けると思いが叶うとされると聞き、積極的に行うのは女子が多く男子は後ろから微笑んでいる姿が印象的。

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下山後は、常若の会による赤飯 紅白なます ダブ汁。 お代わりをする子もいるほど

大変おいしくいただきました。

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昔は着ていた着物は洗わずに田植えの時に着て、山の神様の恵みを受けていたそうです。



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歳の成人儀礼を終えた皆さんたちがお父さんお母さんになって、自分の子供をまた十六参りに送り出してくれたらいいな、と思いました。(*^_^*)

協力:宝満宮竈門神社  宝満山修験会 石村萬盛堂 常若の会

主催:宝満山弘有の会

 

竈門神社のご祭神 玉依姫様が現れた時、山が振動してなんとも良い香りが漂ってきて花びらが舞い散り、そこに現れたのが玉依姫様。

その日にちなみんだ(旧暦の2月10日)緋桜会。

他の花々もたくさん咲いて、やわらかい緑の葉とともに境内はとても美しく

 

ご神木の緋桜は満開。

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竈門神社の境内は春のやわらかい光に包まれていました。

森弘子先生と境内を歩きながら竈門神社や宝満山のお話を聞きます。

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もともと「さくら」の「さ」には「田」、「くら」には「居所」の意味があり、きっと神様は桜の花をいっせいに咲かせ、農作業の始まりを告げたのでは、というをお聞きくと、桜の花びらを散らす玉依姫様のお姿が浮かぶようでした。

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それで、私たち日本人は桜が大好きなのでしょう。

桜をみると体も心も動きだすのがわかったような気がしました。


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 昨日は宝満山弘有の会にて、国史跡宝満山の近世の宝満二十五坊を案内

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ほぼ10年ぶりに巡る。登拝道から中に入り込んだ坊跡には立派な石垣が、崩れそうになりながらも残されていました。

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自分的な発見は、山中に立派な矢穴列を残す石切場を確認したこと。

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矢穴の長さは10cmくらい…坊跡の石垣石材に使われたものなのでは?

  岡寺良(宝満山弘有の会 会員 九州歴史資料館学芸員)

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 修験の山とあって普通でもきつい山道をさらに奥の谷に分け入って、そこに坊の跡が点々。

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これまで山伏はどんな風に暮らしておられたのだろう、と想像するばかりでしたが、築かれた坊の跡や礎石、食器の破片などを見ると、この環境の中でも幸せな暮らしがあったのだろうな。

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その暮らしがすこし身近に感じたような経験でした。

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子ども達はここから小学校に通っていたそうで、宝満山弘有の会代表 森弘子先生が書かれていたように、

ひょいひょいとどこからか小天狗が出てきそう。
いい企画をありがとうございました。

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岡寺さん、宝満山弘有会のみなさん、今日はお疲れさまでした。

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Tamiko yasuoto

 

 

🌄1223、一日遅れでしたが、恒例の冬至の夕陽を観る会をしました。

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会員の雅楽の先生、鬼木剛さんの龍笛の調べにのせて、脊振山に沈む太陽。

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これまでにない素晴らしさでした。
昼間は、同じく会員の九州歴史資料館の岡寺良さんの案内で、有智山城探索。

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その後、妙香庵で「宝満山バイオトイレ建設始末記」のDV Dで、山のトイレ、環境問題を勉強しました。

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大分から制作者の尾登監督にもご参加いただきました。

💖最後は、忘年会で締めくくり。楽しい時を過ごしました。
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来年も、宝満山をテーマに様々な活動をして行きたいと思います。
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12
    
宝満二十五坊めぐり
3
25
  
緋桜会
4
15
 
十六詣り
を予定しています。

🌠これまで、ご参加でなかった方も、どうぞ遠慮なく、ふるってご参加下さい。
🌠
🌠今年はありがとうございました。

 

                   宝満山弘有の会 代表 森弘子

♬初めての有智山城散策でした。

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皆さんのおかげで、宝満の魅力をじわじわと感じさせてもらっています。

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夕日も今年は最高でした。

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🎶特に龍笛響き夕日と相まってすばらしく感動しました。



これから体を鍛えて、軽やかに山を登りたいと思います。

来年もどうぞよろしくお願い致します。

🌠「有智山城を探る」

 

723()15時~1630  カフェ観音にて

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猛暑のなか、たくさんの方に来ていただきました。

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講師 岡寺 良(九州歴史資料館学芸員)

少弐氏によって築かれたといわれていた有智山城。

有智山城は戦国時代、宝満山頂にあった宝満城を守る砦なのでは。

承天寺別院で発掘された内山辛野遺跡が少弐氏の館であったかも。

それにしても近隣に残る山城跡の多いこと。

米ノ山城、高尾城のお話もありました。

 

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講師紹介:2017/06/08付 西日本新聞朝刊より

中近世城館の分布調査終了 県教委、最終報告書

県教育委員会が、県内にある中近世の城館遺跡の分布状況などを5年がかりで調べ、このほど4冊目の報告書で、最終巻となる「福岡県の中近世城館跡4-筑後地域・総括編」を刊行した。調査は全体で約900遺跡に及び、全体像も盛り込んだ今回の報告書は、縄張り図(平面図)や古絵図、写真も交えて各地の城を紹介する力作だ。

 鎌倉時代から江戸時代に築かれた城に関する遺跡を把握し、保護と周知につなげようと、県立九州歴史資料館(九歴、小郡市)が中心となり、筑前、豊前、筑後の3地域に分けて文献調査と現地調査を行ってきた。確認した中世城館は計845遺跡、近世城館は計36遺跡。伝承地や関連遺跡を含めた総数は1千以上という。

 総括編では、中世城館の特徴を分析した。浮かび上がった傾向の一つが、山城の斜面の上下方向に複数本の竪堀を作り、敵が斜面を横移動するのを防ぐ「畝状空堀群」の多用だ。遺構は越後や飛騨など全国にあるが、福岡では古処山城(朝倉市)や益富城(嘉麻市)など秋月氏の本拠や支配地域、その同盟勢力と対抗勢力の山城に多い。

 織田信長が築いた安土城(滋賀県)に代表される織豊期の城より前に築城された高祖城(糸島市)や一ノ岳城(那珂川町)といった福岡湾周辺の拠点城郭では、石垣が造られていた。織豊期以降の石垣と異なるのは、遠方の石切り場から運んでくるのではなく、その場にある自然石を使っている点という。

 各地の城館遺跡では武器や武具、日用品である土器や陶磁器などが出土している。九歴の岡寺良学芸員(考古学)は「城館を調べることで軍事だけでなく、当時の政治と社会も見えてくる」と話す。

「福岡県の中近世城館跡4」は九歴で販売中A4判334ページ2500円

 

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講座の後は、お菓子とコーヒーで皆でおしゃべり。

涼しげなお菓子の提供。

観音さんお世話になりました。