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宝満山入峰

と き 5月10日(日)午前9時

ところ 竈門神社本殿前集合

コース 竈門神社― 一の鳥居(入峰作法)― 中宮―女道―

    座主跡(キャンプセンター)―元宝満心蓮上人祠―上宮(解散)

 参加者には「入峰之証」をさしあげます・

 

大護摩供

と き 5月31日(日)午前10時30分より集合・行列 

    ○護摩供奉納奉告祭  筑前琵琶「竈門山」奉納

    午前11時護摩供開始

    引き続き火生三昧(火渡り)

ところ 竈門神社

 

申し込み不要 入峰はどなたでも参加出来ます。

大護摩供では、護摩木に願い事を書いて山伏さんに祈願・祈祷して頂きましょう。

火生三昧(火渡り)は、どなたでも参加出来ます。

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4月19日、昨年のように雨模様でしたが、第2回の十六詣り無事実行致しました。雨をいやがる若者もなく、果敢に登拝。やはり若さですね。

面白かった。楽しかった。楽勝やった。と下山後もはしゃぎまわる十六歳。

登拝前の神主さんのお言葉、「昔は新しい着物を着て宝満山に登って、その着物に神様に宿ってもらって、その着物を着て田植えをし、村中の豊作を予祝したのですよ。自分のこれからの人生へのお願いをするとともに、社会のために役立つ人間になることを誓う登拝でもあるのですよ。」

この言葉、みんなの胸に響いたかな?

とにかく、宝満山が歴史や自然の美しさ、神秘さに富んだ、すばらしい山ということに気づいてくれたら、主催者としては嬉しいことです。

この催しは、竈門神社をはじめ、食材を提供してくださった方、竹の器を作って下さった方、料理して下さった方、着物の生地を提供して下さった方、縫って下さった方、旗を作って下さった方、登拝のサポートをしてくださった方等々、たくさんの方々、団体のご協力頂いて実施することが出来ました。心より御礼申し上げます。若者の心に、感謝の気持ちが芽生えたのも嬉しいことでした。

 

なお、十六詣りの記事が『西日本文化』474号に掲載されました。

合わせてご紹介します。

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宝満川と宝満山 写真:栗原隆司『祈りの山宝満山』海鳥社 2011年より

 宝満山は、北に流れ、福岡平野を潤し博多湾に注ぐ御笠川、南に流れ、筑紫平野を潤し有明海に注ぐ宝満川の水源の山です。この山のご祭神玉依姫命は水分(みくまり)の神としても信仰されてきました。

 水分の神として有名な吉野水分神社にも玉依姫命が祭られていて、ここは古来「子守明神」として藤原道長など都の貴族から庶民に至るまで多くの人々の信仰を受けてきました。ミクマリが訛ってミコモリとなったといわれますが、稲を育み、実りをもたらすことが、子供を授け健やかな成長を守ることに通じるのだと日本人は考えてきたのです。 

 宝満山の行事でもっともよく知られている「十六詣り」は、16歳になった男女が4月16日(または8日)に宝満山に登り、上宮でお祓いを受け、男は一生金銭に困らないように、女は「良縁を得ますように」と祈った行事ですが、戦後、学制の改革や成人年齢が20歳になった事、村の組織の崩壊などによって次第に行われなくなりました。

 昔、十六詣りで上宮に参拝すると、オミクジを引き、その中に入れられた金玉1個、銀玉2個を引き当てると「幸運を得る」などともいわれました。また稚児落としの断崖の岩間の木に「縁結びのコヨリ」を結びつけると願いが叶うともいわれました。

 太宰府の桜町区で聞いたお話では、「半世紀前頃まで旧暦4月8日、16歳の者が連れだって宝満詣りをした。女は、真新しい久留米の紅絣の短着に赤い腰巻き、黒の手甲・脚絆に紅白のアトガケのついた竹皮の草履をはき、新しい手ぬぐいを被ったおそろいの装束で登った。上宮にお参りした帰りには、シャクナゲの枝に糸のついた丸いオコシを下げたものをいくつも持って帰り、宝満詣りの祝をくれた親戚に配った。女の子達は、この時着た着物を、そのまま洗濯せずにとっておいて、田植えの時にそれを着て早乙女になった。男の子は8日・9日と二晩続く若者組の春籠りに、酒一升・肴一鉢を持参、親が付き添って組み入り(大人の仲間入り)をし、女も招かれて加勢をしながら二日間を楽しんだ」ということです。

 十六詣りが成人を祝うとともに、稲作にとっても重要な行事であったことを物語っています。山の神を乙女の着物やシャクナゲの枝に依憑(よりつ)かせて田に迎えるというもので、宝満の神様が「水分」の神であり「御子守」の神であることを偲ぶことが出来ます。

 4月8日は花祭りで、寺院ではお釈迦様の誕生日として灌仏会(かんぶつえ)などが行われますが、民間では「卯月八日(うづきようか)」の春山入りを行い、山の神をツツジやシャクナゲ、藤などの花木に宿らせ、里に帰って田の神とする行事が広く行われていました。また「卯月八日の初山(はつやま)入り」といって、その年に成人した少年・少女を連れて山に入ることも各地で行われていました。

 十六詣りが何時始まったものかは明らかではありませんが、東院谷の薬師堂の近くに「愛敬岩(あいけいのいわ)」という高さ2メートルほどの岩があり、『筑前国続風土記附録』に「眼を閉て此岩に行当る時は、人の愛敬を得る故に此名あり」と記されています。江戸時代すでに、この岩で恋占いをしていたのですね。十六詣りで上宮に縁結びを祈った少女たちの戯れででもあったのでしょうか。

 十六詣りには、険しい山を登りきることが「成人の証」とされるという意味もありますが、吉野の玉依姫と同様に、宝満山の玉依姫も、子を授け、その成長をお守りくださる神様。無事成長したことを宝満の神様に奉告し御礼を言い、そしてさらに「良いご縁を得ることが出来ますように」と祈る行事なのです。タマヨリヒメ様はその御名の通り、魂と魂を寄りつける神様でもあるのです。

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吉野水分神社(奈良県吉野山)

イベントは終了しました。沢山のご参加、ありがとうございました。

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昔、福岡県下一円では十六歳になった男女が、村ごとに揃って宝満山に登拝し、上宮で、これまでの成長をお守り下さったことへ御礼を宝満山の神様に申しあげ、女は良縁を得ることを、男は一生金銭に困らないようにと祈願しました。十六歳は成人になったとされる年齢で、宝満山への十六詣りが終わると、村の成員として迎えられ、宴会が行われました。

 戦後、学制の変化や成人年齢が二十歳になった事、村落共同体の崩壊などによって、この行事も次第に行われなくなりました。宝満山弘有の会では、会結成の最初の行事として、昨年4月20日、十六詣りを筑陽学園高等学校郷土史研究クラブのご協力で復活しました。

今年は下記の要項で第2回目を実施します。

実施日 平成27年4月19日(日)

*小雨決行、

 大雨の場合は本殿昇殿参拝・直会のみ(宝満山登拝は中止)  

主催  宝満山弘有の会

協力  竈門神社、竈門神社氏子会、宝満山修験会、常若の会(直会食)、

NPO法人古都太宰府の風を育む会(食器製作)、加野而青堂(久留米絣)、石村萬盛堂(協賛)

1,当日のタイムスケジュール

 登拝組

  十六歳の男女・宝満山弘有の会・宝満山修験会・保護者

 9:00  竈門神社社務所集合

      着替え(齋館にて)

 9:30  本殿でお祓いの後出発

       正面登拝道→六所宝塔跡→中宮跡→男道→上宮→

12:00  座主跡キャンプセンター(弁当)

       再会の木→愛敬の岩→東院谷→中宮跡→下山

 15:00  竈門神社参拝後、直会

 16:00  解散

 先達―宝満山修験会

 史跡説明―太宰府市教育委員会 山村信榮

 調理組―常若の会

直会食 赤飯、紅白ナマス、ダブ(紅白かまぼこ入り)、饅頭

参加費 16歳以下は無料

    大人 500円

    ※ 16歳以下の参加者募集は定員に達したため終了しています。

大人の参加希望者は登山に自信のある方のみお願い致します。

お申し込みはお申し込みフォームに必要事項をご記入の上、お申し込みください。

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今日は4月19日(日)に行われる「十六詣り」の準備を行いました。

NPO法人風を育む会さんと共同で作業を行いました。

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タケのササクレをヤスリを使って綺麗にしたあと、竈門神社に運びました。

そして…竈門神社に到着!

次の作業は竹についた汚れを拭き取る作業です。

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作業風景。

そして…準備完了!

みんなの努力と愛情がこもっていますので、当日をお楽しみに♪

 

(きのこ)

 

 

家族で夜桜ライトアップを観に。シンプルモダンなお守り授与所に利久梅を発見、かわいい。

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展望所からの太宰府の夜景、咲き乱れた桜の生命力、漆黒の中に浮かびあがる美しい社殿、そんな幽玄な空間ではしゃぎまくる子ども達。

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忘れられない夜の瞬間となりました。依里


春爛漫、桜も満開の本日、初めての緋桜会が催されました。

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今日は旧暦の210日。

1300年ほど前の2月10日、
心蓮というお坊さんが宝満山で修行をしていると、
良い香りが漂ってきて美しい貴婦人が現れたといいます。

それが玉依姫。

本日の宝満山は玉依姫が現れた日のように

美しい桜色の衣を纏った姿が見られました。

青い空に気品のある桜の花が映え、多くの参拝客の方々で賑わった日でもありました。

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参加者はまず昇殿し、参拝をしました。

 

その後、境内のそこかしこを森弘子先生のご案内で回りました。

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再会の木、愛敬の岩、水鏡、
夢想権之助神社、竈門山寺跡、緋桜の木、
金剛兵衛の墓、日あけの地蔵さん、大行事、
宝満山修験道復興の碑、お守り授与所、
展望台の椅子などなど…。

次々と続く解説に、宝満山の長い歴史を感じました。


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散策
の後は、普段は入ることができない斎館へ。


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緋桜餅とお抹茶を振る舞っていただきました。

 
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そして今度は森先生に桜にまつわるお話を伺いました。

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日本人がなぜこんなに桜を愛するのか。

そもそも桜とはどんな意味があるのか。

「さ」とは穀霊、「くら」とは神の座と聞いたとき、

稲を育てて暮らしてきた日本人の姿が立ち上ってきた気がしました。

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寒かった冬が終わり、また稲を育てる、

その時期を教えるのが桜の開花。

花を見て、これからまた田の仕事に勤しむ。

その宴が花見。

 

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桜を愛で歌に歌ってきた日本人。

その日本人の血が流れているから、

こうも桜に惹かれるのかと感じ入った春の美しい一日でした。

 

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(理乃)

 

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 今から1300年ほど前、天武天皇の時代、心蓮というお坊さんが樒(しきみ)という植物と閼伽水(あかすい)をもって毎日宝満山で修行をしていました。白鳳2年2月10日午前8時頃、山、谷が震動し、何とも言えない良い香りが漂ってきたかと思うと、花びら舞う中に美しい貴婦人が現れました。貴婦人は「私は玉依姫です。この国を守り、人々が平和で安らかにくらすことができるよう、この山に長年止まっているのです」と言ったかと思うと、忽ち雲霧が巻き起こり、貴婦人は金剛神に姿を変えて九頭の龍馬に乗り、十神を従えて、空を飛び回ったのです。

 このことに驚いた心蓮上人は、大宰府に申し出、この報告をお聞きになった天皇は、御社を建て「宝満宮」と号すようにとお命じになりました。

 上宮のすぐ下に、馬蹄岩という岩がありますが、この岩にはこの時の龍馬の足跡が遺っているといいます。(宝満山の縁起より)

 江戸時代の文政2年(1819)、博多聖福寺の仙厓和尚はこの岩に

 玉姫降神 則山谷鳴震動/心蓮登座 則天華飛繽紛

と自作の偈を彫りつけました。また仙厓和尚は九合目にある竃門岩の一石に「仙竈」と大書しました。二つの事を成し遂げた仙厓和尚は、その気持ちを

 烟たつかまどの山の緋桜は香飯の国の贈る春風 

と言う歌に込めました。

 

 宝満山弘有の会では、宝満山のご神木「緋桜」にちなんで3月の最終日曜日に緋桜会を開催することとしました。第一回の開催日3月29日は旧暦2月10日。まさに玉依姫様がご示現なさった日です。この不思議な偶然に神様のご意向を感じます。

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 宝満山は、福岡県太宰府市と筑紫野市の間に聳える標高829.6mの山です。さほど高い山ではありませんが、貝原益軒が「其形勢良工の削なせるが如し」と表現したように、巨岩に覆われた山の姿や嶮しい山道、いくつものコースを辿るごとに展開する豊かな自然。加えて古い歴史の跡を留める遺跡や窟、泉など、魅力の尽きない山です。

 平成25年は、西の都大宰府の鬼門除けにこの山にはじめて神が祀られてから1350年という年に当たり、この山に鎮座する竈門神社では1350年大祭が盛大に行われました。また同年10月17日、宝満山は「霊山」として国の史跡に指定されました。この事を記念して「宝満山弘有の会」を結成しました。

 会名の由来は、江戸初期、戦乱に疲弊した宝満山の復興に邁進した宝満山伏「平石坊弘有」によります。弘有は宝満山の縁起を編集し、山林保全の筋道をつけ、山の祭事の復興を果たし、宝満山1000年祭を執行した人物です。私たちはそれぞれの立場から、弘有を顕彰しつつ、弘有の志を受け継ぐ活動をしていきたいと思っています。

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イベントは終了しました。沢山のご参加、ありがとうございました。

 

旧暦の2月10日玉依姫様が示現し上宮が創健されたと伝えられる日を緋桜会(ひざくらえ)として祝います。

緋桜会の祝の始まりに参加者全員で竈門神社昇殿参拝をした後は、「宝満山歴史散歩」の著者 森弘子先生のご案内で境内散策をします。

程よく歩き疲れたら、特別に斎館に上り、桜の話を聞き、最後は、桜花を愛でながら抹茶の点てだしをいただき竈門の春を満喫します。

日時:3月 29日(日) 9:45~12:00

集合:竈門神社本殿前

参加費:1,000 円(抹茶菓子付)

参加人数:30 名(先着申し込み順

※ 抹茶(菓子付)振舞  500円  申込不要   12:00~先着50名

 

お申し込みはお申し込みフォームに必要事項をご記入の上、お申し込みください。

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